上原浩治に聞く Q.27 夢をあきらめたあとにある生き方とは? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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上原浩治に聞く Q.27 夢をあきらめたあとにある生き方とは?

「メジャーリーグで先発投手として活躍したい」そんな夢を追った上原投手。「先発失格」と言われてどう考えたのか。

そのポジションでプライドを持つ

考えて考えて、出た結論というか、本音は、やっぱり僕は「メジャーで投げたいんだ」というのが一番だったわけです。

それはマイナーじゃなく、メジャーなんです。マイナーに行っていたら先発ができたかもしれない。けれど僕の夢はそこではない、メジャーで投げることが一番やりたかったことなんだ、と再確認した。

「もう先発では使えません」と言われているのに、「それでも先発でやりたいです」って言えば、クビじゃないですか。でも中継ぎならメジャーに残れるわけですよ。そう考えたら、どんなポジションでも受け入れて、そこで結果を出して見返してやろうと思えた。

もちろん、先発はやりたかったけれど、一番やりたかったことはメジャーで投げることだったんです。まあ、何度も言いますけど、先発、やりたいですけどね(笑)。

――なるほど。自分のもっともやりたいことを突き詰めて考えられた。

そこまで大げさではないかもしれないけれど……考えましたね。

やっぱり僕らはプロ野球選手として球団に契約をしてもらっていて、お金をもらっているわけですよね。だから球団に恩返しをしなければいけないと思います。そう考えたら、その与えられたポジションで一生懸命やる。そしてそのポジションにプライドを持つ。それが大事なことだと思うんです。

クローザーのときはクローザーのプライドをもって一生懸命やっていましたし、中継ぎでも中継ぎのプライドをもってやっていましたから。

――そのプライドとはどんなものでしょうか。

中継ぎをやっているときは、先発に負けるものか、と(笑)。なんでこんなに先発が優遇されるんだ、負けてられるかって思っていましたからね。まあ、いまでも思っていますけど(笑)。でも、先発もやっていたから先発の大変さも理解しています。実際、どちらかのほうが大変だ、ということはないんですよ。先発のときは先発の苦しみはあったし、先発をずっとやり続けたい、と思って努力した。

だからやっていること、考えていることはポジションが違っても一緒なんですね。

――やることは同じ。確かにそうかもしれません。そうやっていろいろなポジションを経験されたことは強みになっていますか。

強みか……それはなっているか分からないなあ。いま振り返れば強みだ、と思える程度ですかね。そのとき、そのときはつらかったですから(笑)。


明日の第二十八回の質問は「Q.28 上原投手の考えるチームプレーとは何ですか?」です!


 

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上原 浩治

うえはら こうじ

1975年4月3日生まれ。東海大仰星高校時代は、外野手兼控え投手。1年の浪人後、大阪体育大学に入学し、当時敵なしといわれたキューバ打線を封じ込めるなど投手として注目を集める。1998年にドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。1年目から20勝4敗の好成績を残し、新人王と沢村賞をはじめ最多勝・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率などタイトルを総なめにする。以降、怪我などもありながらジャイアンツのエースとして活躍。2009年に海外FA権を行使しボルチモア・オリオールズに入団。さまざまなポジションを渡り歩きながら着実に実績を重ね、2013年にはテキサス・レンジャーズからボストン・レッドソックスに移籍。シーズン途中からクローザーとなり、リーグチャンピオンシリーズMVPを獲得するなどワールドシリーズチャンピオンに貢献した。現在もボストン・レッドソックスに欠かせない投手として活躍する。



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